書き起こし「今とこれからの働き方」第2部

2018年8月18日に開催した「トークセッション#1 今とこれからの働き方」第2部の書き起こしです。(アンケート結果はこちら、当日の画像はこちらです)

 

白崎あゆみさん(以下、白崎) それでは第2部ということで始めさせていただきたいと思います。私モデレーターを務めますフリーアナウンサーの白崎あゆみと申します。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

フリーアナウンサー 白崎あゆみさん

白崎 ありがとうございます。第2部は、創業100年近い企業の経営者の方々に来ていただきまして、「企業の決断」というテーマでお話を伺っていきます。
まずは自己紹介を簡単にお願いいたします。

黒崎嘉之さん(以下、黒崎) 皆さん、こんにちは。黒崎産業の黒崎と申します。
仕事は建材の販売・卸売をやっております。
あとは、デイサービスであったりとか、道路工事関係をやっている会社で社長をしております。よろしくお願いします。

(会場拍手)

白崎 黒崎さんの会社は創業何年ぐらいに?

黒崎 82年です。

白崎 何代目になられるんですか?

黒崎 私は3代目です。

白崎 会社を継がれて結構長いんですよね?

黒崎 そうですね、会社に戻ってきて13年で、社長になって8年ですね。

白崎 新しい取り組みをされてるということなので、また後でいろいろと伺いしたいと思います。

黒崎産業株式会社 代表取締役社長 黒崎嘉之さん

白崎 では、能崎さんお願いいたします。

能崎将明さん(以下、能崎) こんにちは、能崎物産の能崎と申します。私は今専務という立場です。お菓子とかパンの原材料の卸売をしております。今のところは…そのぐらいですね。

白崎 そうですか。創業はもうすぐ…

能崎 創業は、2020年に100年を迎えるので、今98年ですね。

白崎 よろしくお願いします。

能崎 よろしくお願いします。

(会場拍手)

能崎物産株式会社 専務取締役 能崎将明さん

白崎 では宗守さん、お願いいたします。

宗守重泰さん(以下、宗守) 皆さん、こんにちは。株式会社宗重商店の宗守と申します。
仕事のメインは建物の解体工事、そして産業廃棄物のリサイクルなんですけれども、最近ではリサイクルするものをリユースして海外に輸出したり、変わったところで言えばモンテッソーリという教育事業を寺町でやっています。よろしくお願いします。

白崎 モンテッソーリはいつから始められたんですか?

宗守 3年目になりまして、今15人の子供をみていますが、待って頂いている方がいる状態で。
30人規模まで拡大したいと思っていますので、年内中には移転をしたいと思っていて、今場所探しをしています。

白崎 実は私も今5歳の子供がいるんですけれども、モンテッソーリのワークショップに以前参加したことがありまして。
30人規模のところを探しているということですが、この先事業を拡大されていくということなんですか?

宗守 拡大というよりも、適正な規模が30人ぐらいだと考えています。

白崎 今までされてきたこととは全く別の事業ですよね。何かきっかけがあるんですか?

宗守 イタリアのマリア・モンテッソーリさんという方が考案した教育メソッドなんですが、例えば国語・算数・理科・社会といったカリキュラムがないんですよ。朝来て一日中外で遊んでいてもいいし、一日中絵本を読んでてもよくて。
子どもたちが自ら決めることが出来る。自主性を育み、自立させる、という教育なんです。

で、そのワークショップをやっている方がいて、そこに通う保護者の方から、出資者というか経営者がいないということでお話があって。「じゃあ、やってみようかな」ということで2年前から始めて今3年目になりました。

株式会社宗重商店 代表取締役 宗守重泰さん

白崎 なんとなく勝手なイメージなんですが、創業何十年という会社はずっとひとつのことをやってきて、新しいことにはなかなか取り組みにくいのかなという気がするんですが、3社ともそうではないですよね。新しいことにも取り組んでいらっしゃるということですね。

会社を継ぐきっかけ

白崎 さて、皆さんは、なんとなく「自分はこの仕事を継いでいくのかな」というのは昔からあったんじゃないかと想像するんですが、そのあたりは黒崎さんどうですか?

黒崎 そうですね、私の場合は逆に親から「継がなくていいよ」という風に言われていて、継ぐということを意識したことはなかったですね。漠然と「海外で働きたいな」と思っていたので、少し英語の勉強をしていたりしてました。

白崎 その、「継がなくてもいいよ」というのは、どんな気持ちでおっしゃってたんでしょうか。

黒崎 うちの会社はもともと今のように建材を扱っていたわけではなくて、ガソリンスタンドをやっていて、油を売っていた会社なんです。
昭和61年に同業の方にガソリンスタンド部門を譲渡したんですね。それまで28億ぐらいあった売上が、5億とか6億ぐらいまでになってしまって。会社としてはすごく大変な時期であったと思います。
それもあってか、経営者という仕事は大変だから、「継がなくてもいい」という風に言ってくれてたのかな、と今振り返ると思います。

白崎 でも実際には今継いでらっしゃるわけじゃないですか。それはどういうきっかけで?

黒崎 大学院を出て、研究者になりたかったのである会社に就職したんです。3年ぐらい経った頃に親が癌になってしまって…今は元気なんですが。
将来のことを考えた時に、「やっぱり戻った方がいいのかな」と頭によぎって。
金沢という場所も好きですし、家族や小さい頃からお世話になった会社の人たち…小さい頃キャッチボールをして遊んでもらったりもしてましたから、そういった人たちのことも考えて「戻った方がいいのかな」と思いました。

白崎 はい。では能崎さんにもお聞きしていいですか。物心つく頃にはもう継ぐと思ってましたか?

能崎 思ってましたね。疑問にも思わなかったですし、特にやりたいと思っていたわけでもなくて、「なんとなく僕がやるんだろうなー」と。
大学は経営学部に入って、就職活動も食品やお菓子の会社以外は受けずに、お菓子の流通の会社に入りました。その後の転職でも食品の商社に入りました。
「30歳ぐらいに帰ってこようかな」となんとなく思っていて、31歳で帰ってきて、今に至ります。

白崎 抵抗は全くなかったですか?

能崎 抵抗はなかったですね。
今の会社に入ってから、大変なことがあった時に、「もうちょっと考えればよかったかなー」とはちょっと思いました(笑)。
黒崎さんみたいに、違うことをしていたけど思いがあって帰ってきた、ということでもないので、ふわっとしてました。
あんまり嫌だとも思わなかったです。

白崎 小さい頃に、例えば「パイロットになりたい」とか、そういうのはなかったですか?

能崎 あー…高校の時に映画監督になりたかったです、漠然とですが。
それを誰にも言ってないと思ってたんですが、2年ぐらい前の正月にそんな話になって、母が「知ってたよ」って言うのでびっくりしました(笑)。小学生が「ウルトラマンになりたい」っていうのと同じぐらいのノリでしたね。
それ以外には、特にこれになりたいというのはなかったです。

白崎 はい、ありがとうございます。では宗守さん、いかがですか?

宗守 僕は家業に入って20年経つんですけど。
当時うちは個人商店だったんですよ。個人商店の大変さを知っていて、やらせたくなかったっていうのが本音だったと思うんですよね。
建設業なんですが、自分の進路も理系ではなく文系に進んで。就職も大和というデパートに3年間就職していました。大学の時には流通を学んでいたので。
家業に入ったきっかけが面白くてドラマチックで。
うちの父、先代は去年亡くなったんですが、20年ちょっと前に人に騙されて事業に失敗して、いなくなっちゃったんですよ。会社と家から。いわゆる蒸発ですね。いなくなってしまって。

白崎 先代が?

宗守 はい。で4年間結局戻ってこなかったんです。で、僕が戻らざるを得ないような状況になってですね。
当時5、6名しか社員はいなかったんですが、その社員さんとうちの母親とでなんとか再建するから「手伝いに来い」と。で、急に3年勤めたデパートを辞めて戻った、というのがきっかけです。

白崎 それすごい淡々と話されてますけど、すごいこと話されてますよね(笑)!

(会場笑)

宗守 4年後に僕結婚したんですけど、その日の朝5時に戻ってきました、お父さんが。僕の結婚式の当日に戻ってきました。

(会場笑)

白崎 それは便りを聞いて?

宗守 僕一人っ子なんですけど、たぶん誰かが心配して「結婚式出た方がいいんじゃないか?」って父に言ってくれたんでしょうね。4年ぶりに顔を見て…普通に式に出てたっていう。

(会場笑)

黒崎 式にお父さんの席、用意してなかったんですよね?

宗守 用意してなかったです。その時奥さんの両親に嘘をついていて。「(父は)大病で式に出れない」と。式場にも言ってあったのに、当日いきなり来るもんですから。

僕が家業に入った時は、社長がいない会社だったということです。
なので、僕が採用した当時の社員さんは、「社長って誰ですか」って。「見たことないんですけど」って。
そんな時代が20年ほど前ですね。

白崎 話し口調からは想像できないんですけど(笑)。

宗守 25歳から27歳ぐらいの時でした。大変は大変だったんですが、強くなったと思います。
人の命と会社の命はなかなか無くならなんな、と思いました。チャレンジできるなと。
余程のことがない限り会社って潰れないなと思いましたし、人も死なないんだなと思いました。

白崎 お父さん帰ってくるじゃないですか、その時は普通に迎え入れることができましたか?

宗守 いやー本当に怒りを覚えましたけどね。

(会場笑)

宗守 それでも蒸発に至った過程もわかってきて。本業での詐欺にあって自暴自棄になったという経緯も分かったので、「なんとか解決しよう」という風に思い直しました。

結局、8年かかって解決したんですが、4億円ぐらいのマイナスの資産というか赤字を背負わされたのが僕の1年目でした。
売上3億だったんですけれども、「これどうやって返すんだろう」「何年かかるんやろう」と思ってました。
結局8年ぐらいで完済できて、自分から「社長になる」と言って社長を変わったのが平成19年です。

白崎 すごい、ドラマみたいな話ですね。

宗守 暗くならないでくださいね!僕いたって元気ですから。

(会場笑)

すごい話を淡々と…

変わっていくことと、その難しさ

白崎 戻られてから変えられたこともいろいろありそうですね。

宗守 そうですね、規模も業界も全く違うところで働いてましたので。従業員が1,000人以上いて1,000億円以上の売上がある会社って、当時石川県の中でもあまりなかったと思います。今思えば、百貨店の最後のいい時代だったのかなと。そこから建設業に入ったわけです。

当時解体業といえば、「勉強せんかったらあんなんなるよ」と言われるような業界だったんですよ。先代の時代なんかは、刑務所を出所した人の受け皿だったりもした業界です。
うちの会社ではないですけど、業界には両手で10を数えられない人とか、夏でもタートルネックを着てる人が当時はいたと思います。
そういった業界に、1,000人規模のサービス業から帰ってきたら、ビックリすることばっかりでした。

昨日まで「いらっしゃいませ」って言ってた人が、いきなり山賊みたいな人たちの中に放り込まれたわけです。もう、びっくりして。

(会場笑)

宗守 出来ることはといえば、サービス業化することしかないなと思いました。
まずはちゃんと身なりをしっかりして、しっかり挨拶をしていこうと。そういったところから始めました。
ど素人の状態から自分の業界を見れたということが、かえって良かったのではないかと思っています。

僕の話はもういいですね(笑)。

白崎 ありがとうございます(笑)。
では能崎さんは、入られてから変えていこうと思ったことはなんでしたか?

能崎 前職は去年東証一部に上場した商社にいましたので、今とは全然違っていて。そことうちとはもちろん違うというのは分かって帰ってきたんですけど。問屋業って表に出ないし、華やかな世界ではないと。

でも、洋菓子屋さんておしゃれじゃないですか。買いに来る人たちもおしゃれで綺麗にしてるんですけど。うちは本当にダッサいジャンパー着てみんな営業行ってたんですよ。本当すっごいダサくて。それで入社初年度に車の中にジャケットを積んでおくようにして、社章も作りました。
それが最初にやったことですかね。かなり賛否ありましたし、今でもちょっと言われるんですけどね。

要は、お客さんのことをちゃんと見てなかったんじゃないかなと思います。
ジャケット着て行かない方がいいお客さんもいれば、ジャケット着て行った方がいいお客さんもいるんですが、どのお客さんにも同じ格好で訪問してたので。

そこからいろんなことを変えてやろうと思ってやりすぎて、ちょっと引いてた期間が3年間ぐらいありましたけどね。

白崎 やりすぎたんですか?

能崎 やりすぎましたね。販売管理システムを全部僕とシステム屋さんで考えて、それを入れたら1ヶ月ぐらいパニックが起きて。お客さんにも怒られました。
今では残業も全然ないような会社なんですけれども、その1ヶ月ぐらいは皆さんに朝早く来ていただいて、なんとか荷物を出荷して、まだ伝票処理が終わらない…とか。

白崎 システム入れたのに。

能崎 僕の頭の中で作ったので、現場のオペレーションとの相違があったり。かなり僕はドライで合理的な方なので、「そんなん無駄だから、要らないです」とか「システムに反映しなくていいです」みたいなことが多かったんですね。
実はそういう、手でやってたりとか、ちょっとアナログなことの中に重要なことがたくさんあったりして。そんなことがあって、1ヶ月ぐらいパニックでしたね。
今となっては「システム入れて良かったな」っていう感覚に社内もなりましたが。

白崎 あ、そのシステムは今も使ってるんですね。

能崎 使ってます。ちょっとずつ、やりながら直して。まぁその時はすごく大変でした。
でも「上手くいくだろうな」「従業員は絶対楽になるだろうな」と思ってやってましたけどね。
ただ、そこから2~3年ぐらいはちょっとおとなしくしていました。

白崎 最初は別の会社にお勤めだったんですよね。それはご両親のおすすめとかだったんですか?

能崎 いや、すすめはなかったですね、一応聞いたんですが。絶対入れないような大手の会社を言われて。就職氷河期だったので、入れるわけないだろうと。
で、東京にいたかったので、東京で勝手に就職しました。

白崎 今、何か新しい取り組みをされているんですよね?

能崎 来年ぐらいにはお店を1つ作ろうと思っています。お客さんのお店のお菓子をセレクトした、セレクトショップを作ろうと計画中です。

皆さん、ケーキ屋さんでケーキを食べられますか?

(会場挙手)

能崎 少ないですね。
では、バースデーはケーキを買う人?

(会場挙手)

能崎 ありがとうございます。
皆さんケーキを食べるシーンが減ってきてて。

白崎 減ってるんですか?

能崎 減ってますね。お菓子っていうと、コンビニもスーパーもあるんですが、僕たちのお客さんは地元のケーキ屋さんだったりお菓子屋さんなので。
町にあるケーキ屋さんに買いに行くというのは、一部のすごく好きな人を除いては、ちょっとずつ減ってきてはいますね。

白崎 でも、石川県って数字で見るとお菓子が大好きな県ですよね。

能崎 そうですね。和菓子も洋菓子もチョコレートもコーヒーもアイスクリームも消費量は全国的に見て高いですね。他のエリアに比べればかなりいい方ですが、それでも少し減ってるかと思います。
もっと気軽にケーキを買いに行く、ということが増えたらいいなと。そういうお手伝いができるお店ができたらなと思って計画中です。

白崎 それはアンテナショップというか、いろんなケーキ屋さんのケーキが買えるようなお店ですか。

能崎 そうですね。そんな感じです。

白崎 ひとり暮らしとか、家族の人数も少なくなっていくと思うので、ケーキを1個から買えたりしたらいいですよね。

能崎 そうですね、1個から買って頂いて、もうちょっと身近にというか…お菓子を買うことのハードルを下げたいなと思っています。1個から買えたり、いろんなものを試せたり。
まずこのお店でいろんなものを試して興味を持ってもらって、それを作っているお店に行くきっかけにしてもらえたらと。

白崎 なるほど。
ところで、時代の流れにも合ってると思うんですけど、御社は副業OKなんですよね。

能崎 そうですね。会社に申請すれば副業してもいいということになっています。
今は1名だけですが、日曜日に違う会社でアルバイトしてる従業員がいます。

白崎 新しいこともどんどん取り入れてらっしゃるということですよね。ありがとうございます。
では黒崎さん、帰ってこられたところから教えていただけますか。

黒崎 はい。学校を出て入った会社が、半導体を作るときに使うフォトレジストっていう薬品を作る会社だったんです。ナノとかそういうレベルの、本当に小さいものを扱っている会社でした。
ところが、次に入った会社で扱っている建材っていうのは、「20cm寸法足りません」とか「髪の毛が挟まってます」とかそういう感じだったので、「んー?」と思って。

お客さんも、それまでは研究所や工場の人だったんですが、次の会社のお客さんは木工家具屋さんなので、耳に赤えんぴつを掛けててスポーツ新聞が散乱してて…みたいなところに「こんにちは」って行くので、かなりギャップがありましたね。

で、僕らもそういう木工家具屋さんと取引をしている卸売の会社なので、 働いてる人たちもそんな感じなんですよね。組織というよりは個人商店のような感じでした。
「書類で記録を残す」だったりとかシステムみたいなものが全然なくて。それを一気にやろうとすると、すごい拒否反応があって混乱するので、ちょっとずつ「これはこういう風にした方が楽だよね」みたいな感じでシステムを取り入れていきました。

それと、多角化じゃないですけど、僕らは材料を売っているので、それを使ってどんな施工ができるかなと考えて、施工部門をたち上げたりとか。

あとはデイサービスを金沢市内2箇所で始めました。なぜデイサービスかと言うと、これから少子高齢化で新しい建物が建たなくなったとして、増えていくのはどういうところだろうと考えてみたら、「高齢者向けのリフォームなんじゃないか」と思って。ただ、僕らはリフォームといっても後発なので、高齢者の方と直接結びついて、その中でいろんなニーズを汲み取ったりお客さんを増やしていければ、いう思いでデイサービスを始めました 。

白崎 この先会社がこんな風になっていったらいいな、みたいなことってありますか?

黒崎 「これしかない」っていうことってもうないと思うんですよね。
例えば戦後、「これを作れば売れる」とか「これさえやってれば間違いない」みたいなことってきっとあったと思うんですけど、今はもうないと思います。
いろんな分野でいろんな状況が発生しているので。それを経営者や少ない人数の幹部が全て把握できるということはないと思います。
社員さんひとりひとりが「こんなことをやりたい」「あんなことをやりたい」とか言ってくれて、「じゃあ、それをどんどんやればいいんじゃない」っていう会社にしたいと思っています。

白崎 お話を聞いていると社員の方の意見を積極的に取り入れたりされてるのかと思うんですが、そういう風土を作ろうと意識されているんですか?

黒崎 そうですね。「前向きな失敗ならどれだけしてもいいよ」と。何もしないことが一番怖いことだと思うので。
「やりたいことは、とりあえずどんどんやってみなさい。会社が倒産しない限りはどんどんやってもいいよ」という感じでやっています(笑)。

今の自分を作った経験

白崎 今日は若い方や学生さんが多いですが、今の自分を作っている若い時の経験ってどういうものがありますか。「これやっておいてって良かった」ということはありますか?

黒崎 僕、結構海外旅行とかが好きで、バックパッカーで1ヶ月ヨーロッパに行ったりとか。
いろんな人の話を聞くのが好きで、会合とかがあったらなるべく行って、自分とは考え方が違う人たちに混ざるようにしていました。
どちらかというと保守的で真面目なんですけど、イケイケのギラギラした宗守さんみたいな人たちと交わろうとしていました(笑)。

白崎 黒崎さんと宗守さんは、もう10年来のお付き合いなんですよね?

宗守 はい、そうです。(黒崎さんが)先輩なんですけど。

黒崎 「もっとふざけた方がいいよ」というアドバイスを頂いています。これでもだいぶ崩れできた方なんですけれども(笑)。
元々本当に七三に分けてるような人だったので。

白崎 今日のようなイベントに、自分がもし20代だったら参加してたなと思いますか?

黒崎 いやぁ、僕ら20代の時にこういう場に来ようとは思ってもなかったと思うので。こういう人たちってアンテナが立ってて本当に素晴らしいなと思いますね。

白崎 英語っていうのは昔から好きだったんですか?

黒崎 僕は勉強があまり好きではなくて。大学の就職活動も超ミーハーに有名企業ばっかり受けて、成績が悪いからひとつも受からなかったんです。
理系なので、教授から推薦をもらえば普通受かるんですけれども、成績が悪すぎて、レポートも書き写したりして(笑)。
で、就職がなくて、なんとか大学院に滑り込んで。でも大学院でも成績が悪くて。
「何か勝てることがないかな」と思って、とりあえず TOEIC を勉強して「英語ができますよ」という体でいけばなんとかなるかなと思って(笑)。英語全然しゃべれないんですけど、とりあえず TOEIC の点数はなんとか640点ぐらいまでいったので、当時はなんとかそれで会社には入れました。

白崎 今の仕事では英語は使われるんですか。

黒崎 いや、全くないですね。

(会場笑)

英語のサイトを読むぐらいです。

白崎 ありがとうございます。
では、能崎さんは「若い時にこれをやったから、今の自分がある」みたいなことはありますか。

能崎 僕は20歳の時に初めて海外に行きまして。大学時代、スペインにはまりまして、3回ぐらいに行きました。大学生の夏休みって長いので、その前にまとめてバイトして、そのお金で。

白崎 それはいろんなところを回られたんですか?

能崎 いや、僕はバックパックみたいなのが得意ではないので、その町にずっといるっていう感じでした。そこに住みたいと思っていましたので、ずっと同じ街にいました。
向こうの語学専門学校に行って、スペイン語を勉強しました。今はもう話せませんけどね。その頃は日本に帰ってきてもスペイン語のスクールに週3ぐらいで行ったりしてましたね。

最初行った時は、すごく心配でいろんなものを持って行きましたが、何度か行くうちに「意外となんとかなるな」と。
スペイン語も英語もしゃべれなかったので。今でも覚えてますけど、店員にキレられたりしてましたね。

白崎 なんですか、キレられるって(笑)。

能崎 「ここで食べるのか、持って帰るのか」って聞かれてるんですけど、全然分からなくて。そんなシチュエーションって日本であんまりなくないですか?お店で「お持ち帰りですか?」って聞かれたことがあんまりなくて。

白崎 いや、マック行ったら聞かれますけど。

能崎 そっか、マック行ったら聞かれますね。

(会場笑)

能崎 でもその時はわからなくて、「何の話をしてるのかな?」と。スペイン語、英語、ドイツ語で聞かれたんですけど、全然わからなくて。だんだん人が集まってきて、一生懸命みんなでなにか言ってくれてるんですけど、全然わかんなくて。

(会場笑)

能崎 僕はそこで食べたかったんですけど、持ち帰りのパッキングをされた時に、「これを聞かれてたのか」と分かりました。
あとフランスで、水頼んだつもりがビールが出てきて、全然ビールを飲みたくなかったんですけれども「違う」って言えなくてビールを飲んだりした思い出もあります。

その後も何回か海外に行きましたけれども、「まぁなんとかなるかなー」っていうのはその経験が大きいですね 。
それまではと言えば、金沢から東京に行くのもビビりながらだったので。今思えば、最初のスペインがひとつのきっかけでしたね。

白崎 急にスペインだったんですか?

能崎 最初は単純に「海外に行ってみたい」みたいな動機だったんです。
第二外国語がスペイン語だったんですけれども、その時の先生が「行ってくれば?」みたいなノリで言ってたので、「じゃあ行ってきまーす」みたいな。
「サグラダファミリアが見たい」っていうぐらいの気持ちで行ったんですけれども、とにかく食事が美味しくて。食事が僕には合ってましたね。
その時もう既に、食に携わりたいと思ってはいたので、毎晩外食して飲んでましたね。

スペインはひとりでも入れるバルが多くて、知らないおじさんによくおごってもらいました。

白崎 知らないおじさんに?

能崎 ひとりで来ているような日本人が少なかったのと、スペインが日本ブームだったみたいです、その頃。
日本人は全員空手やってると思われてましたね、20年ぐらい前ですけど。

(会場笑)

白崎 ちょっとまとめると、「興味があることはやってみよう」という感じですか?ざっくりすぎますか?

能崎 そうですね、そんな感じです。
新しい方にお会いするのも、そのひとつかと思います。

白崎 ありがとうございます。
では、宗守さんの学生の頃や若い頃はどんな風に過ごされてしたか?

宗守 大学生の頃はひとり暮らし4年間をしたんですけれども、時間あるじゃないですか。
親の監視の目も外れるし。まぁタガも外れるわけなんですけど(笑)。ほとんど勉強せんと遊んでました。
高校では野球をやってて、キャプテンもやってたんですけど、中・高と。タバコも吸ってなかったんですけど、大学ではタバコとお酒と麻雀を覚えて、ずっとやってました。
神戸の大学だったんですけど、時間があるので「ちょっとうどん食べに香川に行こうか」とか、「ちょっと日本海見に、鳥取砂丘に行こうか」とか、そういった旅をしてましたね。原付で行ったり、車を持っている仲間がいたら車で行ったり。
お金を貯めて海外も行きました。
アメリカ大陸の東側と西側を1回ずつひとりで縦断しました。学生のうちしかなかなか出来ないと思って。

海外でも国内でも、行ったことないところに行くっていうのはプラスになると思います。
自分が今いるところと違うところに行って、そこで出会う人や空気や文化や言葉に触れると、すごく刺激になります。
友達と行くのもいいけれど、ひとりで行くといいかもしれない。
レンタカーとか借りてアメリカ走ってると、自分に酔っちゃいますよ。

(会場笑)

宗守 FM とか聞きながら大きな道を走ってる自分に「かっこいいなぁ!」と思いますよ(笑)。
ちょっと今じゃなかなか出来ないですね。
格安チケットで普通の倍ぐらいの時間をかけて行ったんですけど、そんなことも当時の貴重な思い出になっています。

白崎 ありがとうございます。

一緒に働きたい相手とは

白崎 では最後におひとりずつお聞きしたいんですが、今どんな方と一緒に働きたいですか?ということをお聞きして、質疑応答に入りたいと思います。
宗守さんからお願いします。

宗守 はい。1部の話もちらっと聞いてたんですけれども、僕は学歴とかそういうものには全然こだわらなくて。
僕らは中小企業で、3社ともどちらかと言うと脚光を浴びにくい、下支えをしている企業だと思います。
「目立ちはしないけれども、必ず何かに役立っている」という企業だと思っているんです。

どういった方に来て欲しいというよりは、僕は「この指とまれ」だと思っていて。
昔はSNSもホームページもなかったですが、今は(経営者の)個人名を検索すれば何かしらFacebookか何か引っかかってきますよ。トップがどんな考えを持っているかとかすぐわかる。プライベートがない状態だと思っているんですね、僕自身。

結局、経営者である僕の思いが会社の思いだと思うので、その思いに共感できるかできないか、ということだけかなと思っています。
なので、自分は「こういったことがしたい」「こういう方向に進みたい」、それを理解してくれる方、夢を一緒に追いかけてくれる方、「この指とまれ」という話かなと思っています。

業種・業態だけにこだわるのではなくて、皆さんの思いとマッチする部分を広く探して見つけて欲しいですし、…うちは誰でもいいです(笑)!

(会場笑)

入ることよりも育てることの方が大事だと思うので。どんな人が来ても育てていかないと会社って未来がないと思うます。
どんな人でも育てていけるような環境を作るのは僕の責任というか使命だと思っているので。贅沢は言いません、挨拶が出来れば誰でもいいです!(笑)以上です。

白崎 ありがとうございます(笑)。
では能崎さんお願いします。

能崎 僕も条件みたいなものはあんまりなくて。誠実であってほしいと思います。能力が高いとかっていうよりは、真面目というか、誠実であってほしい。
例えば、間違えた時に「間違えました」って言ってもらえないと、こちらも修正してあげられないので。間違えても間違えてないふりされる方が、ちょっと困りますね。気づいた時には事が大きくなってしまったりしますからね。

必要なことはこちらで教えますし、すごい技術が要るような仕事ではないので、誠実であって頂ければいいなと僕は思っています。

白崎 ありがとうございます。では黒崎さんお願いします。

黒崎 はい。自分で「こんなことをやってみたいな」ということがある人がいいと思います。「会社から言われたことだけやっています」っていう人はやっぱり難しいなぁと思うんですよね。

その人じゃないと出来ないことであったりとか、その人がやりたいと思ってることがないと。「代わりがいる」というのは、すぐに取って代わられてしまうと思うので。AIだとかロボットだとか。
その人じゃないと出来ない仕事しか、なかなか生き残っていけないと思うので、そういうのを持ってる人だといいなと思います。

僕らのような中小企業では、その会社で上に登っていくのってある意味簡単だと思うんですね。
例えば、サッカーの日本代表よりは、セパタクローの日本代表の方がなりやすいんじゃないかと思うんですよ。僕らはセパタクローなので。

(会場笑)

「会社を使っていろんなことをやろう」と思うと、サッカーなのか野球なのかバドミントンなのかそれともまた別のものなのか。
「こういう選択もありますよ」っていうことを分かって頂ければいいかなと思います。

白崎 ありがとうございました。では一旦以上です。皆さん、大きな拍手をお願いします。

(会場拍手)